本間金六畳店の今むかし
当店は、昔、昔にあの、天知人の直江様と一緒にこの地に移住してきたと、お聞きしてはいますが、定かではありません。
しかし、初めは、魚屋だったらしい・・・・。
畳屋を始めたのは、私のお爺さん、「本間金作」だそうだ!!多分、大正の時代かもしれません?
私の父、金六は本間家の二男(長男、金一の下が2,3,4,5、と女の子で6番目に我が親父、金六となった訳です。
その長男、金一さんが戦死なされた為に、急遽、その店の冠は親父に架かってきました!
が、それならば、長男のお嫁さんと再婚??(この辺では「弟直り」?長男の嫁さんと籍を入れる? 歳が離れていた為に分家に出されたわけです。(その後、お婿さんが来てます.)
本間畳店を継ぐことになった親父は、苦労しました!もともと、畳店を継ぐ事などは考えもせず、その辺に婿に行くか????程度の感覚でいたかも?(親父ゴメン!)
本家の店を受け継ぎ、本間畳店は再開しました!
多分、現在のような景気とは違い、ユルッとした時代の仕事かなと??思います!
本間家は、現在の「川西ダリア園」「浴浴センターまどか」に畑、ぶどう園、田んぼが広大に有り、大農園だった!!
子供のころはよく遊びに行っていて、思い出がある。
今は、川西町の観光地として喜んでいただいている。(我が家のモノじゃなかったけど)
そんな、本間畳店も長男の長男、(金一さんの長男)が農家は嫌だとなり、畳店をする事になる!?これが、んんんん????で 昭和42の「羽越水害」で被災されたきっかけに、現在の地に引っ越す!ここで、『本間金六畳店』となる!
自宅は、本家の裏にあったが作業場だけの移転となった。
その頃は、まだまだ、裏通りだったが、今ではメインの交通量もそこそこの通りではある。
私が、中学生の時、兄は家業は継がない?と決まったらしく、本間金六畳店は私に託された??のである。
まあ、のんき者の私は、釣りができればいいか?レベルで家業を継ぐ事に!
高校は定時制を選び、修行?学業に二股をかける!好いか悪いか楽しい弟子時代を過ごし、昭和54年に帰り、今に至る!
職人のご紹介
畳職人:本間芳弘
昭和34年生まれ
49年、就労と学業の両立で米沢市の『中津川畳本店』に弟子入り。
厚生労働大臣認可 一級技能士。
指導員。
品質管理の資格取得
畳職人:本間翼
昭和60年生まれ
厚生労働大臣認可 二級技能士。
跡取りとして日々勉強の毎日です。 日本の伝統の畳をこれからの世代に伝えていきたいです。